【自分の弱さを受け入れられた時が強さにかわる】
突然ですが。
自分の弱さ、見せることができますか?
自分の弱さを他人や家族に見せることができたら、それはほんとの強さを手に入れることができた人です。
私は、小さい時から母親に虐待をされて育ちました。
覚えてるのは幼稚園頃からです。
それから小学生までは暴力で支配されていました。
私には妹・弟の3人きょうだいがいます。
私が小学生の時は、とにかく弟はやんちゃで仕方ありませんでした。
部屋はおもちゃでちらかし、狭い部屋でもお構いなしに走り回る。
母の言うことも聞きません。
そんなときは廊下に3人座らされました。
冬であろうが夏であろうが関係ありませんでした。
私も、妹も何もしていないのに、一人悪いことをされたらおしおきをされるのです。
おしおき、躾としょうして、和装の竹でできた定規を思い切り振り落とし、叩きまくる。
子供が泣き叫んでも、泣くな!!と鬼の形相で怒鳴り散らす。
泣くとうるさい!泣き止まんかったら叩かれるのがわからんのか!!とまた鬼の形相で殴られる。
ごめんなさいは?!あぁ!?と言われる度にごめんなさい、ごめんなさい、と謝るけれど、許してもらえない。何度も何度も母の気が済むまで殴られる。
最後には
ご飯抜きや!!二階へ上がっとれ!!と怒鳴られ、夕飯を食べさせてもらえない時もありました。
そんなときはお風呂にもはいらせてもらえませんでした。
あるときは玄関の外に放り出される、抵抗しても、痛い、嫌や、と言ってもやめてもらえませんでした。
毎日のように近所には鳴き声と、怒号が聞こえていたと思います。
それでも時代もあり、誰も助けてはくれませんでした。
私は長女のため、全て我慢させられました。
お姉ちゃんやから、下の子のめんどうもみなさい。
お姉ちゃんやから欲しいものもやりたいことも我慢しなさい。と。
そして、中学になると父と母は離婚します。
私が中学2年の時でした。
父親と離婚する時、母は子どもたちにこう訪ねます。
『お父さんとお母さん、どっちがいい?あんたらの好きなようにしたらいい』
私たちは、母を選びました。
母親の虐待でまともな思考は持ち合わせていなかったのです。
母は、またこうも言いました。
『あんたらもお母さんと一緒になってお父さんを追い出したんやからな。家のこと手伝ってくれな困るで』と。
それからは母は朝から夜中まで働きました。
始めのうちは帰ってきてたのが、私が高校生になる頃には帰ってこなくなりました。
今で言うネグレクトです。
母はスナックでも働いていたのでそこで知り合った男の家に入り浸るようになりました。
暫くしてその男の家に呼ばれるようになり、夕飯を一緒に食べたりもするようになりました。
あるとき、その男性が私に言いました。
『お母さんには毎日子どもたちは大丈夫なんか?帰ったらんでいいんか?て聞くんやけどな。上の娘が居てるから、娘が面倒みてるから大丈夫やって言うんやけど、ホンマに大丈夫なんか?』
私はこう答えます。大丈夫です、居なくても料理できますから。
ずっと虐待をされて育つと、全て自分で解決しなければならない。
生きていく上では、そうしなければ生きていけない。
と無意識に思っていました。
それからはもうホントの地獄が待っていました。
学校の先生にも甘えることが出来ず、勉強でわからなくて聞くことが出来ませんでした。
人の視線が気になり、先生にあてられると何も答えることが出来ません。
焦れば焦るほど、冷や汗が滝のように出てきます。
緊張し、からだが強張り、授業が恐怖でした。
何も出来ない自分が惨めでした。そんな時にいじめが始まります。
話しかけても無視をされるようになり、どうしていいかわからず、とにかく一日早く学校が終わらないか、そればかり考えていました。
当然母にもいじめられてることは話せませんでした。
話しても取り合ってくれない、話す時間もない。私のことなんてどうでもいいって思ってるに違いない、とさえ思うようになっていました。
僅かな友達にさえ、何も相談できませんでした。
そうやって、育っていくうちに、誰にも理解されなくてもいい、自分で自分のことが解かれば良いと。
ある時親戚の叔母さんに
あんたはほんまえらいなー。普通やったらこんな環境で育ってたらグレるで。よう下の子の面倒もみてなー。あんたがしっかりしてるから下の子らもグレんですんでねんやな。
と。内心私は、自由にしたいけど、この子らおいて自由になんかできやん!と思っていました。
こうして、私の歪んだ性格、自己肯定感の低さに繋がっていきました。
全てに感謝もできず。
母親の愛情を感じずに育っていくと、すべての大人が敵にしか思えなくなりました。
それが親戚の叔母さんであっても。
親戚の叔母さんは優しかったです。
よく週末になってはきょうだい3人を駅まで迎えに来てくれて1泊2日泊めてもらえました。
ある時、中学でいじめにあっていたことが母親にバレます。
それは妹の友達が私がいじめられているのを目撃したから。
そして母親は学校へ講義をしますが、それをされた私はさらにいじめられる
ことになりました。私からすれば余計なことをと思っていました。
学校のことを普段は何も話を聞こうともしない人が何言ってるんだよ、とも
思っていました。
中学生活は最悪なほどに嫌になっていました。
ある日、家庭環境も知らない担任が、私のテストの点数が悪すぎて、朝に突然怒りながら色々
言ってきますが、私はどうしたらいいのかわからず、うなずくのみでした。
その時に、聞かれていたのは、なんでテスト勉強してないんや?!あかんやろ!!できる時間あるのにさぼってるんか?と。
最後にはげんこつで頭を殴られました。
その時に思っていたのは、うちのなにをしってんの?!何も知らないくせに!!
勉強したくても家事で忙しくてへとへとになってるのに、なんでそんなこと言われないといけない?!
と憤りもありました。
恥ずかしさと痛みで自分の机で泣いていた記憶があります。
それからますます学校に行くのが怖くなりました。
それでも学校に行くしかありませんでした。私の逃げ場はどこにもなかったから。
それからはもう孤独、ひたすら孤独でした。
もう死にたい、生きたくない。
何のために生きてるのかもわかりませんでした。
だれも慰めてくれる大人もいない、応援してくれる大人もいない。
真っ暗闇の世界にどんどん落ちていきました。
この時の私の顔は、今考えてもやばかったと思います。
それでもどこかで必死になって生きていたように思います。
ずっと孤独と戦っていました。
誰にもここの中を打ち明けずにいました。
当然高校生活も楽しいわけもなく。
当時の私は同い年の子たちをクソガキだと思っていました。
今はそんなことは一切ありませんが。
家庭環境が普通ではなかったので、周りの子たちが羨ましかったのもあり、いつも比べていました。
当然高校でも先生たちは母子家庭なのは知っていましたが、私が家事全てやっていることは知りません。
高校でも家では勉強をする時間はありませんでした。
母親は当然のように私がすべてやることが当たり前とすら思っていましたから。
きょうだいのお弁当を作るのに早起きをして、母親の分まで。
夜に男の家から帰ってこない代わりに、朝になると帰ってきていたので、
母親のお弁当まで作っていました。
夕方に帰ってきた母親はスナックに行く前に必ずシャワーを浴びてから行くので、髪の毛を乾かせと
いつも私に命令してきていましたし、宿題をやっていても、たばこを買いに行かされたこともありました。
いつも孤独で、強がって生きていました。
そうしていくうちに大人になっても頼ることが出来ない。
友達にすら。
それが恥ずかしいことだと思わされてきたから。
それが自己対話をすることで、弱さがあってもいいんだと気が付きました。
それが弱さを受け入れた瞬間でした。
人は弱さを見せると馬鹿にされると思いこまされて生きています。
そうではないんですよ。
弱いのも自分だし、その弱さをバネにして強く生きることが出来るんです。
本当の強さとは、その弱さを受け入れた自分なんです。
弱さがあることで真の強さが発揮できるんです。
世の中的に言われている強さは、強がっているだけで、本当の強さではありません。
強がってる状態はひねくれているからです。
それは外側の世界を怖がって自分を守ろうとしている防御本能でもあるんですが、それでは人に対して本当の優しさは出せません。
どうか、弱さをうけいれてくださいね。
長くなりましたが、最後まで読んでくださりありがとうございました。
神恩感謝
今日1日が皆様にとって良い日になりますように。